店長日記

村岡モータース 店長日記

村岡モータース外観

本店
鹿児島市南郡元町11-3
TEL(099)258-2928
FAX(099)253-5552

工場
鹿児島市南郡元町27-2
TEL(099)-257-5386

店長日記

このページでは私、村岡が気ままな日常の事を綴っていきたいと思います。

私は野球が大好き!2007/4/24更新

私はスポーツが大好きです。見るのもするのも身体を動かすことも好きですね。タフコート鹿児島の店長は私の弟で実はその会社はを設立させたの実はこの私です。彼のプロフィールでは私の話など一つも出てきていない・・・この恩知らずのバカチンが!!(笑)

私達は三人兄弟で二男は20歳代で歯科医院を開業して、福岡市でむらおか歯科医院という歯医者さんを営んでいます。私が長男で大昔、野球大好き少年で彼ら弟2人はその影響で中学の時、野球部に入ったのです。毎日、真っ黒になりながらゴムボールでよく三角ベースボールを仲間でやっていました。

バットは“たけんばっと”(竹のバット)で上手く先っぽに当たると、ジャイロ回転で飛んでいくのですが、上手く当たるととんでもない遠くに飛んでいったのを憶えています。(私達はエンバンダマと言っていました。) ゴムボールなのでバットの芯に当たっても普通に飛ぶだけですが、この打法をマスターすれば70〜80メートルはゆうに飛んでいきました。(子供の頃なので実際どうかわかりませんが・・・)

でも普通の飛距離の2、3倍は伸びていき、良くボールがなくなっていたものです。だからエンバンなしね!と皆から封印されました。そんなこんなで下の弟2人はずっと野球を続けています。

私は子供の頃の夢は野球選手でした。しかし、小学校5年のころ、海岸で石投げを思いっきり何時間も考えも無しにやって(本当に加減をしらないバカでした。)次の日、右手が上がらなくなってしまい、母に病院につれていってもらい(右肘の捻挫)と診断され、一ヶ月ほど右手を吊ったまま生活をしました。

一週間に2回は病院に通院し、痛みは取れましたが、しばらくはボールは投げられなくなりました。いわゆる野球肘と言う奴で、なんと未だに完治していません。 私の右肘の内側の軟骨は飛び出して左に比べると異型です。渡米してジョーブ博士に治してもらおーかなぁ〜(笑)

そんなこんなで本格的に野球が出来なくなってしまったのでした。二男はタフコートのブログにも書いてあるようにチームの柱!エースで4番という輝かしい時代を送っていました。 私はやむなく中・高校と陸上の長距離を続けました。高校2年の時、花の1区(10キロ)を任されましたが、オーバーペースで後半つぶれて散々な結果でした。 その年の全国高校駅伝大会で鹿児島○○高校は全国2位という素晴らしい成績をおさめました。鹿児島はレベルが高かったのです。(彼らについていけるはずがない・・・)

あまり陸上ではいい思い出はありませんでした。 記録会等でもこれといった成績も殆ど残せなかった・・・。ただ、学校内では無敵で運動会と校内マラソンはスターでした。

私は今でも身体が軽く体力があるのは陸上のおかげだと思っています。私の息子の三男は中学の時は陸上部(半分強制的に入れた)で、3年の市郡駅伝大会で区間賞を取ったど〜!(ノ゚ο゚)ノ オレのDNAのおかげだぁー!

高校に入ったときはさすがに陸上を続けろと強制は出来ず、足を使えるスポーツをしたいと言ったので「じゃぁ、陸上かラグビーしかなかが!」どんな親だ・・・。 今、ラグビー部でスクラムハーフをやっています。チャンスがあればたまにトライをしたりして自慢しています。「オレは最強だぁー!」とか、口から生まれた、生まれっぱなしな奴です。

でもひょっとしたら私の息子(男ばかり4人)の中で私に一番似ているせいか彼とはいつもケンカばかりだ。(たわいもないことなんだけど・・・)

彼が中学3年のころ、急に身体が出来上がり、足なんかパンパンに筋肉が盛り上がって、どう見ても長距離タイプなんじゃないなと思った私は直々に顧問の先生に800メートルをさせてくれと頼みました。 その結果、市大会で入賞し、県大会に出ることが出来ました。

私も3年前はまだ足に少しは自信があったので、仕事が終わって地元の某大学のグラウンドで息子と県大会に向けて特訓をしたものです。 私がメニューを考えて400メートルのインターバルやフォームを整え走る(快調走:今はどんな呼び方なんだろう?)やLSD等、大会に向けてやっていました。

「おい、父さんと50メートル走すっど!」と挑発すると、「もう父さんはオレの敵じゃ無かど!」というので四男と二男に協力してもらい、タイムトライアルを行ないました。
結果は惨敗!! スタートからみるみる離されショックでした。息子6秒8 私7秒1 息子曰く「父さんに合わせて流したんだけどなぁ〜」「本気で走ったら可愛そうだもんなぁ〜」などとほざく・・・

悔しかったが、当時44歳、毎日仕事漬けで殆ど運動をしてない割には、まだまだ私の足も捨てたもんじゃないな・・・と勝手に納得! 悔し紛れに「オレ、一ヶ月時間があれば6秒5で走ってお前なんかぶっちぎりやっどん、仕事が大事なんで今日のところは ま〜しょうがなか!」などとホザく親も親だ。

そんなこんなで県大会を迎えた。メンバー表を見てビックリ!県ナンバー1○○くんと同組だ。4組での予選で上位2着が決勝進出なのに・・・・ 県大会だからみんな強いのはわかっていたが、せめて団子状態のままで2位狙いの出来そうな組もあったのに〜。出走前日にくどく何度もシュミレーションをして後半勝負で、とにかく2位に食い込む作戦だったのだが、それはもろくも崩れる・・・ 多分、県ナンバー1君がペースを上げたら他の選手も付いて行ってハイペースになったらとても息子の付いて行ける隙は無い・・・ 出走前に前日とは違うアドバイスをしたのだが・・・

いよいよスタート!800メートルは400メートルトラック2週。1週目のラップで2〜5番手につけてほしかった。200メートルまでは団子。な、、なんとここで我バカ息子400メートルと勘違いしたのかスパートし始め、400メートル1週目のラップを取ってしまった。時計を見ると59秒。私は大声で「バカが〜もっとペースを落とせ〜」と叫ぶ。となりで陸上の事を何も知らない女房はオレに向かって「何でそんな事言うの?早いがね、一番だよ!」「バカがー絶対つぶるっどー」「バカバカ言いなさんな」等と言い合っているうちに、とうとう600メートルでナンバー1君に捕まると、ガクッとなった息子は急にペースが落ち始め1人、また1人と抜かれていく・・・ 最後は案の定、ヘロヘロのゴールでした。

私も終わった後はくどくど言わない。「ま、県大会に出れただけでも良かったがぁ・・・」「あいつはバケモンだよ人間じゃなか」と、息子

でも精一杯がんばった息子が眩しかった。すがすがしい一日でした。

結局その後日あった全九州大会で、ナンバー1君は1位とほぼ近いタイムの2位でした。やはり、とんでもない少年でした。チャンチャン。(^д^)

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